認知症学習会を前にして

伯母の死と地域の助け合い

 先日伯母が亡くなったので、帰郷してきました。87歳でしたが、「ぼけなかったから、かえって辛かったかもしれない」と孫たちが話すように、最後まで頭脳明晰、ご飯も流動食ではありましたが自分の口から食べたということ。話ができなくても、しっかり合わすことができなくなった手を一生懸命合わせて、みんなにお礼を言って行ったそうです。少し左に小首をかしげて眠っているような穏やかなお顔でした。

 伯母も母たちも、自然の中でお天道様と共に生きてきました。朝は4時ごろから起きて仕事をし、少し昼寝をして、また暗くなるまで働きます。自然に逆らわない生活をすることで、最後まで自分らしく生きることができるのではないかと、ないものねだりの私は思うのです。

 一方、88歳の義父は足が動かず、トイレと食事以外はベッドでの生活です。この人は夜ふかし型の生活が好きでした。しかしこちらも頭ははっきりしています。「足が腫れてきたからもう長くない」と言いつつ、食事を実においしそうに自分で食べています。

 どうやら、両者に共通しているのは、自分に合った生活を送っていることだと思います。また、家族や近所がほおっておかないことも同じです。葬儀は自宅で行なうため、食事の支度をお隣さんや親戚がしてくれ、お互い様の助け合いが生きています。最後のお見送りの時、近所のおばあちゃんたちは、「私のときは頼むで」と話し合っていました。都会での助け合いは果たして構築することができるのかと、私は自問しながら帰途につきました。

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