南相馬市の避難所の炊き出し支援に参加

現地の声を聞いてきました

津波が跡形もなくさらっていった
津波が跡形もなくさらっていった
 5月23日、南相馬市立石神第一小学校の避難所に、炊き出しボランティアに行ってきました。衆議院議員阿部知子さんの呼びかけで、江ノ電バス1台を出していただきました。石神第一小学校は、福島第一原発から北北西に27.8キロメートルにあります。昼前から雨になり、放射能が上がるのではないかと気にしながら測定したところ、大気中は1マイクロシーベルト前後でした。しかし、草の上はやや高めで1〜3マイクロシーベルトの間を針が行ったり来たりの状況。土の上、しかも植物が生育している場所は放射能が溜まりやすいようです。鎌倉市では、消防本部の屋上に測定器を置いていますが、地上15メートルもの高さで測定しても、人の生活圏ではないため現実的な数字とは言えません。雨上がりの土の上や子どもが駆け回る学校のグラウンド、保育園の砂場などで早急に測定すべきです。

 さて、炊き出しは、昼食に炊き込みご飯と具沢山のかす汁、スイカを準備しました。何人かの方に話を聞いたところ、いつも朝食はパンで、昼食夕食はお弁当だが、朝食にパンを食べない方も少なくないことや、お弁当はご飯が硬くて冷たいと話されていました。レトルトのおかゆを温めているのは、津波でおじいちゃんの入れ歯が流されてしまい、ご飯が食べられないからです。おかゆだけでは栄養面で心配です。また、小高で酪農を営んでいた方は、「放してきた牛の様子を昨日見てきた。昼間は牛舎に牛はいなくて豚が入っていた。夜になると戻ってきたけど、承諾書に判子ついたからもう薬で・・・もう戻れない。」と話してくれました。私は言葉なくただ聞くことしかできませんでした。

 私たちは車中一泊の強行軍でしたが、たった一日のことです。それでも疲れました。災害発生から2ヵ月半経とうとしていますが、未だ避難所でダンボール程度の間仕切りでの生活をせざるを得ない状況は、一刻も早い改善が必要です。また、物質的は支えとともに、精神的な支えも必要ではないでしょうか。災害は避けられませんが、被災者の二次的な被害は止められます。平常時にさまざまなシミュレーションをしておくことが求められます。

 帰宅の際、津波の被災地を回りました。小高い山を越えたとたん、眼前には茶色の広大な平地が広がりました。色をなくした風景です。電信柱もぽきんと折れ、残っている電柱は途中で電線がなくなっています。その高さまで津波の影響があったのです。いたるところに生活の痕跡を残した瓦礫の山が積み上げられています。人々の営みを全て巨大津波が飲み込んでしまいました。